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私の精神疾患

更新日:8月20日




カナダでメンタルヘルス/依存症サポートワーカーとして働く私自身、精神疾患を持っています。


12年前カナダに来た当時、息子たちは7歳と5歳でした。事情があって縁もゆかりもないカナダの街に来て、もちろん家族も友達もいませんでした。夫は事情があり日本に残り、カナダに正式に引っ越して来れたのは私と子供たちがカナダに移住してから6年後。その間一人で子育てしてきました。


カナダに来てすぐにカレッジにすぐ入学しました。永住権を将来得るために必須だったのです。ESLではなく現地の学生達と同じクラスに入り、英語での授業と膨大な課題に追われ、それだけでもいっぱいいっぱい。加えて、全く英語を喋れない状態で現地の小学校に通い始めた息子達の学校やサッカー、友達付き合い、不安定な心のフォロー、そして家事や保険や住まいや医療など全ての事を一人でする毎日。パンクしそうでした。


永住権取得は簡単ではなく、年単位の時間がかかることわかっていました。一体いつ永住権をとれるのか、本当に取得できるのか、そしていつ夫とまた暮らせるようになるのか。いつまでこんな生活が続くのか全く先が見えず、今考えるとよく正気を保っていたなあと我ながら感心します。


結局、永住権を無事取得するまで丸5年かかりました。カナダ人と結婚する等のケースは家族枠で永住権を申請するので早いですが、私の様にカナダに縁もゆかりもない者は永住権を"申請する資格"さえ、最初はないのが普通です。カレッジに2年通い、専門職に就き就労時間を規定時間まで稼ぎ、様々な条件をクリアして初めて、永住権を "申請する権利" がもらえました。ここまでで4年以上かかっています。申請した後も審査には時間がかかるのが普通なので、結果が出るまで何ヶ月も待ちました。トータルで5年。我ながら良く頑張ったと思います。


そして、永住権を取得した途端に、糸が切れたみたいに、私の精神状態は坂を転がる様に悪くなっていきました。いえ、正確には「永住権を申請した途端」だったと思います。


申請するまでが長い道のりで、何年も気が張っていたいたのがプツリと切れたのでしょう。


体が動かなくなり、起きれなくなり、一日中泣いていました。家事もできなくなり、這うようにして息子達の食事だけは用意していました。自分はほとんど食べていませんでした。職場の福利厚生で利用していたカウンセリングの先生に、医者に行くように説得されました。カウンセリングで対応できるレベルではない、とにかく治療が必要だと。ずっとお世話になっている信頼できるカウンセラーからの言葉なのに、私は頑なに拒否していました。


永住権はまだ審査中で、精神疾患で医療にかかったら審査に響くと心配したからです。永住権申請の健康審査において、却下される身体的事由の一つに、精神疾患があります。医者にかかって診断が下りたら、審査に影響するかもしれないと怖くてたまらなかったのです。


どうしてそこまでして、と思われるかもしれません。事情はまた機会があれば詳しくお話ししますが、子供達のために永住権を取ることは、私達夫婦の悲願でした。そのために何年も様々な事を犠牲にして、異国で夫とも離れ離れで子供達に苦労をかけながら、苦しい月日を耐えてきたのに、ほんの少しでも審査に影響することは避けたかったのです。


でも今振り返ると、あの時の私はハッキリと限界を超えていました。それでもどうしても医者には行かないと言い張る私に、カウンセラーが「あなたの今の精神状態では命が危ない。命と永住権、どっちが大事なの!」と言いました。カウンセラーは、普通そこまで強いアドバイスをクライアントにする事は滅多にありません。それほど危うい状態だったのだと思います。


それでも私は「そんなの永住権に決まってるでしょう!!子供達に永住権を残す為なら私の命なんて惜しくない!!そんな当たり前のこと聞かないで!!!」と泣き叫んだのを覚えています。


頭おかしいと思われるでしょうが、それほど命がけで永住権を子供達のために取ることに懸けていたのです。


私をそこまで親身に心配してくれたカウンセラーの先生に、今でも申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいですが、当時は状況を適切に判断する能力がなく、医者に行くことを頑なに拒絶し、悪化の一途を辿っていきました。


結局、私を病院に行くよう説得し、救ってくれたのは当時働いていた職場の同僚と上司でした。


出勤する事は出来ず、人と電話で話すことも怖く、毎朝留守電に「具合が悪いので休みます」と残していました。同じフレーズで、淡々と吹き込む毎日。


それを毎朝聞いていた直属の上司が危険を察して、さらに上のマネージメントチームに「このままでは危ない。彼女の留守電の声は、毎日同じフレーズを単調に言っているだけだけれど、どこか変だ。私の勘が当たっていれば彼女は危険な状態だ。彼女にはカナダに家族がいないし、私達が助けるべきた」と報告してくれたのです。


そしてその日から、上司や同僚が電話をくれたり家に来てくれたしました。息子達の面倒を見てくれたり、ご飯を届けてくれたり、一緒に寄り添って泣いてくれたり。頭も心も体も良く機能しておらず、ベッドに横たわって、自分が自分なのかもわからない様な状態でしたが、そんな中で私はやっと、病院へ行くべきなのかも、まずは生きなきゃいけないのかもしれない、と思うようになり、ついに病院へ行ったのでした。


診断はうつ病でした。


薬が処方され、仕事も正式に療養休暇をとって、治療に入りました。



続きは2⃣へ。

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