私の精神疾患2⃣治療と寛解、再発
- Aira-Life-Coaching
- 2024年8月20日
- 読了時間: 4分
更新日:2月23日

私の精神疾患①から続く
休職と療養に入り、治療を開始した私は、服薬とカウンセリング、認知行動療法などで徐々に回復していきました。
だいぶ体調がよくなった頃、医師と上司の強い勧めで日本に一ヶ月ほど一時帰国をし、夫や両親、古い友人など大切な人達に再会し、少しずつ元気を取り戻していきました。
カナダへ戻り、職場に復帰。寛解の期間が一年ほど続きました。仕事に帰れた事と日常が普通に送れることに喜びを感じる日々を過ごしていました。
そして一年後の再発。それは突然やってきました。
昨日まで穏やかに暮らしていて、仕事もちゃんと行っていた。その日は主治医と定期チェックのアポを入れていました。待合室で、順調だからこのまま薬減らしていけるかなあ、とか考えてたんです。そしたらそれは急にやってきました。
急に涙が出てきて、どんどん苦しくなった。もうすぐ順番だから我慢しようとするのに、涙が止まらない。そのうちまっすぐ座っていることもできなくなりました。受付の人が飛んできて、別室に通してくれました。
先生がすぐに来てくれて、私の状態が緊急性があると判断され、そのまま総合病院の精神科救急に送られました。
大きな総合病院の精神科救急は、完全に閉鎖病棟で、持ち物はすべてガラス張りのナースステーションに預けました。待合室は、普通の救急の待合室とは違い、リクライニングのチェアが間隔を置いて配置されていました。医師に会うまでの時間(長かった、3時間くらいかな。時間をかけて診察して安全だと確認されないと、退院はできないので)リクライニングチェアに横たわって、毛布にくるまって泣きながら、ものすごく安心したのを覚えています。
同じ待合室にいる患者さんは、全員具合が悪そうで、叫んだり、セキュリティの人と言い争ったり、脱走しようとして止められたり、色々でした。そういう人達に囲まれて、未だかつてない安心感と安堵感を感じていました。ここでは私、病気でいいんだ、具合悪くていいんだな、て思ったんです。
ああ私、本当はずうっと苦しかったんだ、とその時初めて気づきました。ずっと苦しいのを抑えていただけだったと。自分も気が付かないくらい、自分をも騙せてしまうくらい、元気を演じてたんだなと。
ここにいたい、ずっとここにいたい、と思いました。でも子供たちを家に残しておけない。帰りたい、でもここにいたい。もう頑張りたくない。でも子供たちのためには頑張らなきゃ。どうしたらいいだろう。
当時息子二人はまだ小学生と中学生でした。カナダでは、12歳以下の子供を家に留守番させることに対して、日本より厳しいのです。夫はまだ日本在住でしたし、家族も親戚もいないし、一晩だけの入院でもたぶん無理だと思いました。有難いことに助けてくれる友人はたくさんいましたが、こういう時、預かってください、て言いにくいのが日本人ぽいというか、それに、行政がそれを許すのかわかりませんでした。考える気力もありませんでした。
診察してくれた医師は、とてもいい先生で、私の気持ちに寄り添ってくれました。入院の判断はされませんでした。カナダではよほどのことでないと入院はできないのと、私は子供たちの件もあるので、と説明してもらいました。でも、通いで受けれる治療機関に紹介状を書いてくれ、それから、私を総合病院に送ったもともとの主治医と引き続き治療をするようプランを立ててくれました。
次の日から再び休職して治療することになりました。それは、一向に回復しない苦しい日々の始まりだったのですが、この日精神科救急で経験した安心感は、その後の長い苦しい日々の支えになりました。辛くなったら、またここに戻ってきていいんだ、私にはこの場所があると(実際に何度も危うくなってここに何回も戻りました)。
この日から何年も経った今、Mental Health and Addiction Workerになった私は、何人ものクライアントが同じ総合病院の精神科救急に送られるのを見てきました。私が同じ場所で患者として経験したことは、今わたしのクライアントを理解する助けになっています。
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